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Person / 人

トゥパク・アマル2世

Túpac Amaru II
AD1738年3月19日 – AD1781年5月18日(享年43)
ペルー(インカの末裔)重要度 3

概要

インカ最後の皇帝の子孫を名乗り、植民地体制に対して蜂起した。処刑の様子が、以後の抵抗の記憶になる。

関わったできごと(1)

ラテンアメリカ諸国の独立1810年 · その50年前の先駆

本文

本名はホセ・ガブリエル・コンドルカンキ。

インカ最後の皇帝トゥパク・アマルの子孫を名乗った。

クスコで教育を受けたクリオーリョ寄りの富裕層で、 ラバの隊商を経営していた。

蜂起の理由は、 ミタ(強制労働)と、 コレヒドール(地方長官)による強制販売になる。

要らない物を高値で買わされる制度が横行していた。

数万人が加わった。

先住民だけでなく、 クリオーリョやメスティソも当初は同調している。

だが、暴力が広がると離反した。

捕らえられ、クスコの広場で処刑された。

妻と息子の処刑を見せられた後、 四頭の馬で四肢を引かせる刑にかけられた。

体が裂けず、最後は斬首された。

遺体は各地に分けて晒された。

その名が、後の抵抗運動で繰り返し使われる。