概要
アジア初の国連事務総長。キューバ危機の仲介に入り、両国の顔を立てる形を用意した。
関わったできごと(1)
キューバ危機AD1962年 · 仲介に入った本文
教師から出発した。
同僚だったウー・ヌが独立後の首相になり、 その縁で政府に入った。
1961年、国連事務総長のハマーショルドが 飛行機事故で死ぬ。
その後任として、アジアから初めて選ばれた。
翌年、キューバ危機が起きた。
米ソが直接には引けない状況で、 第三者からの提案という形を作った。
双方に自制を求める書簡を送り、 それに応じる形で船を引き返させる。
顔を潰さずに降りる階段を用意した、と評される。
その後もコンゴ、キプロス、印パの調停に関わった。
ベトナム戦争の停止を求めつづけ、 アメリカとの関係は悪くなった。
死後、ビルマの軍政が国葬を拒んだ。
学生が遺体を奪って大学に埋葬し、 軍が掘り返す騒ぎになる。