← 地図で見る
Person / 人

ウ・タント

U Thant
AD1909年1月22日 – AD1974年11月25日(享年65)
ビルマ重要度 3

概要

アジア初の国連事務総長。キューバ危機の仲介に入り、両国の顔を立てる形を用意した。

関わったできごと(1)

キューバ危機AD1962年 · 仲介に入った

本文

教師から出発した。

同僚だったウー・ヌが独立後の首相になり、 その縁で政府に入った。

1961年、国連事務総長のハマーショルドが 飛行機事故で死ぬ。

その後任として、アジアから初めて選ばれた。

翌年、キューバ危機が起きた。

米ソが直接には引けない状況で、 第三者からの提案という形を作った。

双方に自制を求める書簡を送り、 それに応じる形で船を引き返させる。

顔を潰さずに降りる階段を用意した、と評される。

その後もコンゴ、キプロス、印パの調停に関わった。

ベトナム戦争の停止を求めつづけ、 アメリカとの関係は悪くなった。

死後、ビルマの軍政が国葬を拒んだ。

学生が遺体を奪って大学に埋葬し、 軍が掘り返す騒ぎになる。