概要
核戦争に最も近づいた13日間。以後、米ソは直通回線を引く。
場所
ワシントンD.C.
38.91°N -77.04°E · アメリカ合衆国
38.91°N -77.04°E · アメリカ合衆国
関わった人(2)
ウ・タントAD1909年1月22日–AD1974年11月25日 · 仲介に入ったジョン・F・ケネディAD1917年5月29日–AD1963年11月22日 · アメリカ側本文
13日間になる。
ソ連が、キューバに核ミサイルを配備した。
偵察機の写真で発見される。
アメリカ側の選択肢は、 空爆、侵攻、海上封鎖、外交。
軍部は空爆を主張した。
ケネディは海上封鎖を選んだ。 「隔離」と呼んだ。封鎖は戦争行為になるため。
ソ連の船が、封鎖線の手前で止まった。
後で分かったことがある。
キューバには、既に戦術核が配備されていた。 侵攻していれば、使われた可能性が高い。
そして、ソ連の潜水艦が 核魚雷の発射を検討していた。 乗組員の一人が反対して、止まっている。
その名はヴァシーリー・アルヒーポフになる。
翌年、米ソは直通回線を引いた。
出典(1)
スティーブン・ピンカー(幾島幸子、塩原通緒 訳) 『暴力の人類史』第5章 長い平和