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Person / 人

ウスマン・ダン・フォディオ

Usman dan Fodio
AD1754年12月15日 – AD1817年(享年63・推定)
ソコト帝国重要度 3

概要

学者から指導者になり、ハウサ諸王国を倒して西アフリカ最大の国を作った。

関わったできごと(1)

ソコト帝国の成立AD1804年 · 当人

本文

フラニ人の学者の家に生まれた。 20歳から説教して回った。

批判したのは、ハウサ諸王国の支配者になる。 重い税、恣意的な徴発、 そして在地の信仰との混淆。

王の一人に招かれて宮廷で教えたこともある。 そこから距離を取り、対立へ向かった。

弾圧を受け、ヒジュラ(移住)を行い、 ジハードを宣言した。

数年でハウサ諸王国を倒した。

作った国では、学問が重んじられた。 本人も、弟も、息子も、そして娘も著作を残している。

娘のナナ・アスマウは、 女性のための教育網(ヤン・タル)を組織した。 村を回る女性教師の制度で、 その名はいまもナイジェリアの教育計画に使われている。

本人は建国後、政務を弟と息子に譲り、 著述と教育に戻った。