概要
二度バスティーユに入り、イギリスに亡命し、フリードリヒ大王と文通して喧嘩した。冤罪の再審を勝ち取り、寛容を説き、教会を嘲った。
所属
フランス王国関わったできごと(1)
『カンディード』AD1759年 · 著者本文
本名はフランソワ=マリ・アルエ。
風刺詩で摂政を怒らせ、バスティーユに入った。
出てから筆名を名乗る。
貴族と喧嘩して、二度目のバスティーユ。
その後イギリスへ3年亡命し、 ニュートンとロックと議会を見て帰った。
その見聞を書いた本が焼かれ、また逃げた。
生涯の大半を、国境近くで暮らしている。
いつでも逃げられるように。
フリードリヒ大王に招かれてポツダムに3年いて、 喧嘩別れした。
『カンディード』を書き、 最善説を笑った。
晩年、冤罪で処刑されたプロテスタントのカラスの 再審を勝ち取った。
3年かかっている。
「私はあなたの意見に反対だが、 それを言う権利は命をかけて守る」は、 本人の言葉ではなく、 後世の伝記作家の要約とされる。
死後、革命政府がパンテオンに移した。