概要
武帝の長子。2歳で皇太子。「3歳で孝経と論語を読んだ」。東宮に3万巻。文人を集めて『文選』。母の墓の地に「墓に呪いを埋めた」と讒言され、父に疑われた。船で蓮を取っていて落ち、31歳で死んだ。昭明。息子は継げず、弟が継いだ。
関わったできごと(1)
『文選』AD530年頃 · 編者本文
蕭統。徳施。 501年。襄陽。武帝が挙兵した年。 502年、皇太子。2歳。 「3歳で『孝経』『論語』。5歳で五経を読み終えた」。 「読書は数行を一目で見た」。 「東宮」。「文徳殿」。「3万巻」。 「劉孝綽」。「殷芸」。「王筠」。「陸倕」。「到洽」。「劉勰」。『文心雕龍』の。 「東宮の十学士」。 『文選』。 『正序』。『英華集』。 「仁」。「飢饉に東宮の米を出した」。「衣を減らして民に」。「刑罰を軽くと、父に」。 「母丁貴嬪が死んだ。526年」。 「墓地」。「道士が『この土地は長子に悪い。蝋の鵞を埋めて祓え』」。 「宦官が武帝に『太子が呪いを埋めた』」。 「武帝が掘ると、蝋の鵞」。 「太子は弁明しなかった」。 「武帝は疑った」。 531年3月。「後池で蓮を摘んでいて、船から落ちた。腿を傷めた」。 4月。31歳。 「昭明」。 「武帝は泣いた」。 「息子蕭歓を立てず、弟蕭綱を太子に」。 「蕭綱。簡文帝。侯景に殺された」。 「蕭統の子たちは、荊州や襄陽の王に。孫の蕭詧が、西魏の下で後梁を」。 「昭明太子の子孫が、隋の皇后になった。煬帝の妻」。 『文選』。 「30巻。李善が60巻に」。 「唐で読まれ、宋で刻まれ、日本で写された」。 「九条家本『文選』」。 「『文選』を読まなければ、『万葉集』も『枕草子』も書けなかった」。 「彼は、30歳で、東アジアの文学の教科書を作った」。 「彼は、蓮を摘んでいて死んだ」。 「文人が、そういう死に方をした」。 鎮江に「昭明太子読書台」。 「読書台」。「増華閣」。 「昭明」。「明るく照らす」。 「彼の諡は、彼の本を言っている」。