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Person / 人

楊貴妃

Yang Guifei
AD719年 – AD756年(享年37・推定)
重要度 3

概要

玄宗の息子の妃で、道士にされてから玄宗の貴妃になった。荔枝を早馬で嶺南から運ばせた。一族が権力を握り、安禄山の乱で、馬嵬で兵に迫られて縊られた。37歳。白居易が「長恨歌」で歌い、世界三大美女の一人に数えられる。

所属

関わったできごと(1)

馬嵬の変AD756年 · 殺された

本文

楊玉環。 蒲州永楽、 あるいは蜀の出。 父は蜀の役人で、早く死に、 叔父の家で育った。 735年、17歳で寿王李瑁の妃。 玄宗の18番目の子。 武恵妃の子。

740年、武恵妃が死んで3年。 玄宗は驪山の温泉に息子の妃を呼んだ。 高力士が薦めた、と伝える。 道士にして、太真宮に住まわせた。 「太真」。 寿王には新しい妃を与えた。 745年、貴妃。 皇后はいなかった。 貴妃が最高位になった。

太っていた。 「環肥燕痩」。 豊満な貴妃と痩せた趙飛燕。 胡旋舞を踊り、 琵琶を弾き、 玄宗の曲に合わせて舞った。 荔枝。 嶺南から、あるいは涪州から、 早馬で、 「一騎紅塵妃子笑、無人知是荔枝来」(杜牧)。 華清宮で毎年冬を過ごした。

姉三人が韓国夫人、虢国夫人、秦国夫人。 虢国夫人は化粧をせず馬で宮中に入った。 従兄の楊釗が「国忠」の名を与えられ、宰相。 「生男勿喜女勿悲、生女却為門上楣」。 男が生まれても喜ぶな、女が生まれても悲しむな。

二度、宮から出された。 746年と750年。 機嫌を損ねて。 二度とも、玄宗が耐えられなくなって呼び戻した。 髪を一房切って高力士に渡した。 「体は陛下のもの。髪だけは、親からもらったもの」。

安禄山。 貴妃が養子にし、 誕生日に赤子の襁褓に包んで洗った、と『資治通鑑』は書く。 書いた人は、それを信じていない書き方をしている。

756年、37歳。 馬嵬。

墓は馬嵬にある。 土が香る、と言って人々が持ち帰り、 煉瓦で覆った。 山口県長門市に、貴妃が逃げて来たという墓がある。 能『楊貴妃』は、蓬莱で道士に会う貴妃の話。