概要
一族の三分の二を疫病で失い、その経験から『傷寒雑病論』を書いた。病の段階と処方を結びつける考え方が、漢方の骨格になる。
関わったできごと(1)
『傷寒論』AD200年頃 · 著者本文
南陽の人で、長沙の太守を務めたと伝わる。
正史に伝が無い。
序文に自分で書いたことが、ほぼ全てになる。
一族は200人あまりいた。
建安の初めから10年で、3分の2が死んだ。
そのうち7割が傷寒だった、と。
急性の熱病になる。
医者たちは、古い処方を写すだけで 患者を見ようとしない、と嘆いている。
だから自分で書いた。
『傷寒雑病論』。
熱病の経過を六つの段階に分け、 段階ごとに脈と症状と処方を結びつけた。
戦乱で散逸し、晋の王叔和が集めた。
『傷寒論』と『金匱要略』に分かれて伝わる。
宋で校訂され、 明清の医者が注釈を重ね、 日本の江戸の医者が「古方」として尊んだ。
葛根湯も小柴胡湯も、この本の処方になる。
医聖と呼ばれる。