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Person / 人

趙匡胤(宋の太祖)

Emperor Taizu of Song
AD927年 – AD976年(享年49・推定)
重要度 5

概要

後周の禁軍の将軍が、遠征の途中で部下に黄袍を着せられて皇帝になった。酒の席で将軍たちに兵権を手放させ、以後、文官が武官の上に立つ。「士大夫を殺すな」という誓いを石に刻んで残した。弟に殺されたという噂がある。

関わったできごと(1)

宋の成立AD960年 · 太祖

本文

趙匡胤。 涿郡の家で、 洛陽の夾馬営で生まれた。 927年。 父趙弘殷は後唐、後晋、後漢、後周の禁軍の将。 「赤い光が部屋を満たし、香りが一晩残った」。 「香孩児」。

後漢の郭威に仕え、 郭威が後周を建て、 柴栄(世宗)に仕えた。 954年、高平。 北漢と契丹の連合軍。 後周の右軍が崩れ、 趙匡胤が「主が危ない、死ぬときだ」と叫んで 突撃した。 勝った。 殿前都虞候。 959年、殿前都点検。 禁軍の最高司令官。 世宗が「点検作天子」と書いた木札を見つけて、 点検の張永徳を解任し、 趙匡胤を任じた。 その年、世宗が39歳で死んだ。 子は7歳。

960年正月。 「契丹と北漢が攻めてきた」。 禁軍が出た。 陳橋駅。 開封の北20キロ。 夜。 弟の趙匡義と趙普が兵を動かし、 朝、 趙匡胤が酔って寝ているところに、 黄袍を着せた。 「諸軍に主なし、太尉を天子とせよ」。 「お前たちは私を主にしたが、私の命令を聞くか。 聞かなければ、私は主にならない」。 「周の皇太后と幼帝に手を出すな、 大臣を殺すな、 府庫を略奪するな」。 開封へ。 禅譲。 宋。 契丹の侵入は、なかった。

961年、酒。 「杯酒釈兵権」。 石守信たち。 「私は眠れない。 お前たちに謀反の心がなくても、 部下が黄袍を着せたら、どうする」。 将軍たちは翌日、辞表を出した。 田と家と、金を与えた。

「文で武を制す」。 節度使から兵と財を奪い、 禁軍を都に集め、 兵を将から離し、 科挙を増やし、 殿試を自分でした。 「太祖誓碑」。 「柴氏の子孫を守れ。 士大夫と上書する者を殺すな。 これに背けば天罰」。 新帝は即位のとき、一人でこの碑を読む決まりだった。 靖康の変で開封が落ちたとき、 金の兵が見つけた、と伝える。

976年10月、 弟と夜、酒を飲んで、 翌朝、死んでいた。 50歳。 「燭影斧声」。 蝋燭の影と斧の音。 弟が即位した。 太宗。 太祖の子は、二人とも数年で死んだ。