概要
飢饉で家族を失い、乞食僧になり、紅巾軍に入って皇帝になった。中国史で最も低い所から出た皇帝。宰相を廃し、胡惟庸と藍玉の獄で数万人を殺し、農民を里甲に縛り、海を閉じた。顔が醜いと言った者を殺し、肖像画は二種類残る。
関わったできごと(1)
明の成立AD1368年 · 皇帝本文
朱重八。 八番目。 祖父が初一、父が五四。 名前がなかった。 数字。 元の農民は。 濠州鍾離(安徽鳳陽)。 1328年10月21日。 「赤い光」。 1344年、 旱魃、蝗、疫病。 父、母、兄が半月で。 埋める土地がなかった。 隣の劉継祖が。 「皇陵」。 のちに。 皇覚寺。 小僧。 50日で、 寺に食糧がなく、 「遊方」。 乞食。 3年。 淮西。 「私は乞食僧だった」。 自分で書いた。 『皇陵碑』。 「皇考皇妣、 亡くなって、 魂魄なく、 家に葬る所なく」。
1352年、 郭子興。 紅巾。 「湯和の手紙」。 25歳。 親兵。 養女馬氏と結婚。 「馬皇后」。 「大脚皇后」。 纏足していなかった。 1355年、 郭子興が死んだ。 1356年、 集慶。 応天。 「呉国公」。 「呉王」。 1360年、 劉基。 「劉伯温」。 朱升。 「高築牆、広積糧、緩称王」。 1363年、 鄱陽湖。 陳友諒。 「鉄索の船」。 火攻め。 陳友諒は矢で。 1367年、 張士誠。 蘇州。 10か月。 「朕は淮右の布衣」。 1368年、 「洪武」。
宰相。 李善長、 徐達、 胡惟庸。 1380年。 「謀反」。 「日本と結んだ」。 「元と結んだ」。 3万人。 10年かけて、 連座を広げた。 李善長。 1390年。 77歳。 一族70人。 「劉基」。 1375年。 「毒」。 胡惟庸が。 朱元璋が。 1393年、 藍玉。 「皮を剥いで、 藁を詰めて、 各地に回した」。 1万5000人。 「明初の四大獄」。 空印案、 郭桓案。 「貪官」。 60両以上の横領は。 「剥皮実草」。 役所の門の横に、 土地廟。 「皮場廟」。 「私は乱世の後を治めているのだから、 重い刑が必要だ」。 「子孫は寛く」。
文字の獄。 「光」「禿」「僧」。 自分の過去。 「則」。 「賊」に音が近い。 「生」。 「僧」。 処刑された。 「表箋」。 「頌徳」の文で。 実際にあったか、 清の学者の話か。 議論がある。 『孟子』。 「民為貴、社稷次之、君為軽」。 「君に大過あれば諫め、 反復して聴かざれば、 君を易う」。 「この爺が今生きていれば、 免れないぞ」。 孟子の位牌を孔子廟から出した。 翌年戻した。 『孟子節文』。 85条を削った。 科挙で出題禁止。
「洪武帝の肖像」。 二つ。 一つは、 穏やかな丸顔。 一つは、 顎が突き出て、 頬が窪み、 黒子だらけ。 「龍顔」。 「奇貌」。 どちらが本人か。 両方が。 「醜いと描いた画家を殺し、 美しく描いた画家を殺し、 似ていて、 かつ、 帝王らしく描いた画家を、 賞した」。 1398年6月24日。 70歳。 孝陵。 南京。 妃嬪38人が殉葬された。 明で復活した。 元の風習? 「朕は、 病んで、 31年」。 遺詔。 「天下の臣民は、 三日で喪を終えよ」。 建文帝。 孫。 4年後、 叔父が。