概要
紅巾の乱から出た貧農の子が、南京で皇帝になり、元を北へ追った。モンゴルの100年が終わり、漢人の王朝が戻る。皇帝は宰相を廃し、功臣を数万人殺し、農民を土地に縛る国を作った。
場所
32.06°N 118.80°E · 中国・江蘇省
関わった人(1)
朱元璋(洪武帝)AD1328年10月21日–AD1398年6月24日 · 皇帝本文
朱元璋は1352年、濠州の郭子興の紅巾軍に入った。 兵卒から、婿になり、 1355年、独立の軍を持ち、 1356年、集慶(南京)。 「応天」。 朱升の言葉。 「高く城壁を築き、広く糧を蓄え、ゆっくり王を称せ」。 陳友諒を1363年に鄱陽湖で、 張士誠を1367年に蘇州で。 韓林児、紅巾の「小明王」は1366年、 船で迎えに行かせて、途中で沈んだ。
1368年1月23日、南京。 「大明」。 明。 白蓮教の弥勒、明王。 元号、洪武。 「一世一元」。 皇帝一人に元号一つ。 それまでは何度も変えた。 以後、清まで、日本の明治まで。
8月、徐達が大都に入った。 元の順帝は北へ逃げた。 北元。 「元は天下を失ったが、滅んでいない」。 明は「北虜」と300年戦う。
1380年、胡惟庸の獄。 宰相。 謀反。 1万5000人。 中書省と宰相を廃止した。 「以後、宰相を置くことを議する者は死刑」。 皇帝が六部を直接。 一日に400件の文書を読んだ、と。 1393年、藍玉の獄。 1万5000人。 功臣は、ほとんど残らなかった。 錦衣衛。 廷杖。 朝廷で大臣を鞭で打つ。
里甲制。 110戸で一里。 魚鱗図冊、賦役黄冊。 「農民は農民、職人は職人、兵は兵」。 戸を固定した。 海禁。 「一枚の板も海に出すな」。 科挙を復活し、 八股文を定めた。 『大誥』。 自分で書いた法と説教。 家ごとに一冊。 持っていれば罪一等を減じる。
「皇明祖訓」。 子孫への命令。 「祖法を変えるな」。 変えられなかった。 明は276年、 この最初の30年に作られた形のまま、 動かなかった。