概要
リトアニアがキプチャク汗国の軍を破り、キエフとドニエプル西岸を取った。モンゴルの支配から最初に抜けた東スラヴの土地になる。
場所
青水(シニェ・ヴォディ)位置は特定されていない(誤差 ±km)
48.60°N 30.90°E · ウクライナ
48.60°N 30.90°E · ウクライナ
関わった人(1)
アルギルダスAD1296年頃–AD1377年 · 大公本文
キプチャク汗国は1359年から20年のあいだ、 20人以上のハンが入れ替わる内紛に入った。
リトアニア大公アルギルダスはその隙を突いた。 1362年(1363年とも)、南ブグ川の支流シニュハ川のほとりで、 汗国の三人の首長の軍を破った。
キエフとポジーリャが、リトアニアの手に入る。 1240年にバトゥに焼かれてから、モンゴルの下にあったキエフが 120年ぶりに別の主を持った。
戦いの規模も場所も、史料は多くを語らない。 だがこのあと、リトアニアは黒海の近くまで広がり、 ヨーロッパで最も大きな国の一つになった。 その大半が、正教のスラヴ人の土地だった。