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Person / 人

祖沖之

Zu Chongzhi
AD429年 – AD500年(享年71・推定)
南朝(宋・斉)重要度 3

概要

天文と数学の家に生まれた。円周率を小数7桁まで求め、この記録は900年破られなかった。大明暦を作ったが、政敵に「古を改めるな」と止められ、死後10年で採用された。月の裏のクレーターに名がある。

関わったできごと(1)

祖沖之の円周率AD480年頃 · 数学者

本文

字は文遠。 范陽遒県の祖氏で、 戦乱で江南に移った北の家。 祖父の祖昌は宋の大匠卿、 父の祖朔之は奉朝請。

孝武帝が「華林学省」に置いた。 学者の集まる部署。 それから南徐州の従事、婁県令、謁者僕射。 斉に代わってからも仕え、 長水校尉で終わった。

『綴術』5巻。 唐の算学では4年かけて学ぶ教科書だったが、 北宋には失われていた。 『隋書』律暦志に、円周率だけが引かれている。 「祖沖之、更めて密法を開き、 円径一億を一丈と為し、 円周の盈数は三丈一尺四寸一分五厘九毫二秒七忽、 朒数は三丈一尺四寸一分五厘九毫二秒六忽、 正数は盈朒二限の間に在り」。

息子の祖暅之も数学者で、 球の体積の公式を、 「冪勢既に同じければ、則ち積累うべからず」の原理で導いた。 カヴァリエリの原理と同じ考えを、1100年前に。 球の体積を父の仕事とする本もある。

大明暦。 19年7閏を捨て、391年に144閏。 冬至の位置が動く(歳差)を暦に入れた。 「四十五年十一月に一度差す」。 実際は71年に一度。 まだ粗いが、入れたことが新しかった。

戴法興。「古を改めて、天を乱す者」。 祖沖之。「古人の粗を襲うのは、 弓を作る者が古い型に固執するようなものだ」。 「願わくは天を測って言う。願わくは古を以て非とせざれ」。 「駁議」。 孝武帝が死んで、話は消えた。 梁の天監九年、510年、息子が献じて採用された。

指南車。 劉裕が北を伐って持ち帰った指南車は、 外見だけで中身がなく、人が中で回していた。 祖沖之が銅の歯車で作り直し、 「どこへ曲がっても、常に南を指した」。 北斉の索馭驎という者が同じものを作ると言って、 競わせて、索の車は動かず、焼き捨てられた。