概要
アフリカの代表を一人も呼ばずに、14か国が大陸の分け方を決めた。実効支配していれば領有を認めるという規則が、その後20年の争奪を加速させる。
場所
ベルリン
52.52°N 13.40°E · ドイツ
52.52°N 13.40°E · ドイツ
本文
1884年11月から翌年2月まで、ベルリンでビスマルクが会議を主催した。 参加したのは14か国。アフリカの代表は一人もいない。
議題は、コンゴ川流域の扱いから始まった。 決まったのは、大陸の分け方そのものではなく、分け方の規則になる。
海岸を押さえた国は内陸へ主張できる。 ただし、実際に支配していなければ認められない。 新しく取ったら、他国に通知する。
この「実効支配」の規則が、争奪を加速させた。 名目だけの主張では足りないので、みな内陸へ兵を送った。 1870年に大陸の1割だったヨーロッパの支配は、 1914年には9割を超える。
国境は、川と緯度と経度で引かれた。 民族も、言葉も、放牧の道も考慮されていない。 アフリカの国境線の3割近くが、いまも直線になっている。
コンゴ川流域は、ベルギー王レオポルド2世の個人の領地と認められた。 その帰結は、20年後に世界が知ることになる。