概要
ロシア帝国のムスリム知識人が、新しい方式の学校と新聞で改革を試みた。宗教を捨てずに近代化するという道は、革命後のソビエトに潰される。
場所
タシュケント
41.30°N 69.24°E · ウズベキスタン
41.30°N 69.24°E · ウズベキスタン
本文
ロシア帝国は、19世紀にトルキスタンを併合した。 その支配下のムスリム知識人が、内側からの改革を試みた。
始まりは学校になる。 クリミアのガスプリンスキーが1883年に新聞を出し、 文字を音で教える新しい方式(ウスーリ・ジャディード)の学校を開いた。 「新しい方式」から、この運動はジャディード運動と呼ばれる。
伝統的な学校では、意味の分からないアラビア語を暗誦することから始めた。 新方式では、まず母語で読み書きを教える。 数年で読めるようになる。
保守的なウラマーは反発した。 ロシア当局も、団結を恐れて警戒した。
1917年の革命に、ジャディードの多くは希望を見た。 自治を求め、一時はコーカンドに自治政府を作る。 赤軍がそれを潰した。
1920年代、ソビエトは彼らの一部を登用したが、 1930年代の粛清でほぼ全員が処刑されるか収容所へ送られた。
宗教を捨てずに近代化する、という道は、ここで断たれた。