概要
共和の14年のあとに即位し、周を一時立て直した。西の犬戎と南の楚を討つ。その子の幽王が国を失い、周は東へ移る。
場所
鎬京位置は特定されていない(誤差 ±8km)
34.23°N 108.75°E · 中国・陝西省西安南西(西周の都)
34.23°N 108.75°E · 中国・陝西省西安南西(西周の都)
本文
父の厲王は民に追われ、14年帰れなかった。
その間、大臣が政治を執った。
共和。
厲王が亡命先で死んだあと、 匿われていた子が即位した。
宣王。
46年治める。
西の犬戎を討ち、南の淮夷と楚を討った。
『詩経』に、この遠征を歌った詩が入っている。
「六月」「采芑」。
一度立て直した、と後世は言う。
中興。
だが、晩年は敗戦が続いた。
姜戎に敗れ、南の軍を失った。
子の幽王が継ぐ。
褒姒を寵愛して太子を廃し、 その太子の母の実家が犬戎を招き入れた。
BC771年、幽王は殺され、都は焼かれた。
翌年、周は東の洛邑へ移る。
宣王の46年が、西周の最後の光になった。