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Person / 人

マンスール

al-Mansur
AD714年 – AD775年(享年61・推定)
カリフ国(正統・ウマイヤ・アッバース)重要度 4

概要

アッバース朝の第二代で、実質の建設者。革命の功臣アブー・ムスリムを殺し、アリー家の反乱を潰し、ティグリスの西岸に円い都を建てた。倹約で、「一銭の父」とあだ名された。

所属

カリフ国(正統・ウマイヤ・アッバース)

関わったできごと(1)

マンスールのバグダード建設AD762年 · カリフ

本文

アブー・ジャアファル・アブドゥッラー。 アッバース家。 母はベルベル人の奴隷、サッラーマ。 兄サッファーフが初代カリフ、 754年に死んで、継いだ。

叔父アブドゥッラー・イブン・アリーが対抗した。 アブー・ムスリムが叔父を破った。 755年、マンスールはアブー・ムスリムを宮殿に呼んだ。 何度も断った後で。 罵り、 背後の護衛が刺した。 遺体を絨毯に巻いて、 ホラーサーンの軍に見せた。 兵は動かなかった。 ラーワンド派が「マンスールは神」と言ってきたので、殺した。

762年、メディナ。 アリーの曾孫ムハンマド「純粋な魂」(アンナフス・アッザキーヤ)。 弟イブラーヒームがバスラで。 両方を殺した。 アリー家の子孫を、鎖に繋いだ。 穴倉に。 30年前、革命の名で呼んだ「預言者の家」を。

バグダード。 762年。

宰相の職を作った。 ワジール。 バルマク家のハーリドが最初。 郵便(バリード)を、 諜報に使った。 「私の目は郵便局長」。

倹約。 「ドーニーク(6分の1ディルハム)の父」。 アブー・アッ・ダワーニーク。 宴を開かず、 古い服を着て、 国庫に6億ディルハムを残した、と伝える。 自分で帳簿を見た。

シーア派には憎まれ、 スンナ派の法学者にも嫌われた。 アブー・ハニーファを獄で死なせた。 マーリク・イブン・アナスを鞭打たせた。 そのマーリクに『ムワッタ』を書かせた。 法典として。

775年10月、巡礼の途中、メッカの手前で死んだ。 63歳。 墓を100掘って、そのどれかに埋めた。 場所が分からないように。

ハールーン・アッラシードの祖父。 アッバース朝の37人のカリフのうち、 アッバース家の血は、全員この人から。