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Person / 人

ベリサリウス

Belisarius
AD500年頃 – AD565年(享年65・推定)
東ローマ帝国重要度 4

概要

ペルシアを破り、ニカの乱を鎮め、ヴァンダルを一年で滅ぼし、東ゴートからローマとラヴェンナを取った。皇帝に疑われて呼び戻され、フン人がコンスタンティノープルに迫ると老兵300で追い返した。盲目の乞食になったという伝説は、事実ではない。

関わったできごと(2)

ニカの乱AD532年1月13日 · 鎮圧ベリサリウスのローマ奪還AD536年12月9日 · 将軍

本文

トラキアかイリュリアの、ゲルマニア(サパレヴァ・バニャ)の生まれ。 ユスティニアヌスが皇帝になる前の護衛から出た。

530年、ダラ。 25歳で、ペルシアの倍の軍を、 塹壕を掘って待って破った。 翌年カリニクムで負けた。 532年、ニカの乱を鎮めた。 533年、ヴァンダル。 1万5000で船に乗り、 カルタゴの南に上陸し、 アド・デキムムで破り、 トリカマルムで破り、 王ゲリメルを山から降ろした。 1年。 コンスタンティノープルで凱旋式。 共和政以来、皇帝以外に凱旋式をした将軍はいなかった。 ゲリメルは凱旋の列の中で、 「空の空、すべては空」と言い続けた、とプロコピオスは書く。

535年からイタリア。 シチリア、ナポリ、ローマ、ラヴェンナ。 ゴートが西の皇帝に立てようとした。 「私は生きている限り、皇帝の座に着かない」。 ユスティニアヌスは、それでも疑った。 541年、ペルシア戦線へ送られ、 542年、疫病で皇帝が倒れたとき、 「次の皇帝を勝手に決めさせない」と言ったのを、 テオドラが反逆と受け取って、 軍を奪い、財産を取り上げた。 妻アントニナがテオドラの友人で、許された。 544年、イタリアに戻された。 兵も金もなく、 5年、トティラに勝てず、 呼び戻された。

559年。 コトリグル・フン人がコンスタンティノープルの城壁の外まで来た。 皇帝は老いたベリサリウスを呼び出し、 300の老兵と、武器を持った市民で、 待ち伏せして追い返した。

562年、陰謀に名を出され、 半年幽閉され、 無罪になった。 565年3月、死んだ。 皇帝も同じ年の11月に死んだ。

「目を潰されて、乞食になった」という話は12世紀に生まれ、 18世紀にマルモンテルが小説にし、 ダヴィッドが「ベリサリウスに施しを」を描いた。 プロコピオスは、そう書いていない。