概要
ペルシアを破り、ニカの乱を鎮め、ヴァンダルを一年で滅ぼし、東ゴートからローマとラヴェンナを取った。皇帝に疑われて呼び戻され、フン人がコンスタンティノープルに迫ると老兵300で追い返した。盲目の乞食になったという伝説は、事実ではない。
関わったできごと(2)
ニカの乱AD532年1月13日 · 鎮圧ベリサリウスのローマ奪還AD536年12月9日 · 将軍本文
トラキアかイリュリアの、ゲルマニア(サパレヴァ・バニャ)の生まれ。 ユスティニアヌスが皇帝になる前の護衛から出た。
530年、ダラ。 25歳で、ペルシアの倍の軍を、 塹壕を掘って待って破った。 翌年カリニクムで負けた。 532年、ニカの乱を鎮めた。 533年、ヴァンダル。 1万5000で船に乗り、 カルタゴの南に上陸し、 アド・デキムムで破り、 トリカマルムで破り、 王ゲリメルを山から降ろした。 1年。 コンスタンティノープルで凱旋式。 共和政以来、皇帝以外に凱旋式をした将軍はいなかった。 ゲリメルは凱旋の列の中で、 「空の空、すべては空」と言い続けた、とプロコピオスは書く。
535年からイタリア。 シチリア、ナポリ、ローマ、ラヴェンナ。 ゴートが西の皇帝に立てようとした。 「私は生きている限り、皇帝の座に着かない」。 ユスティニアヌスは、それでも疑った。 541年、ペルシア戦線へ送られ、 542年、疫病で皇帝が倒れたとき、 「次の皇帝を勝手に決めさせない」と言ったのを、 テオドラが反逆と受け取って、 軍を奪い、財産を取り上げた。 妻アントニナがテオドラの友人で、許された。 544年、イタリアに戻された。 兵も金もなく、 5年、トティラに勝てず、 呼び戻された。
559年。 コトリグル・フン人がコンスタンティノープルの城壁の外まで来た。 皇帝は老いたベリサリウスを呼び出し、 300の老兵と、武器を持った市民で、 待ち伏せして追い返した。
562年、陰謀に名を出され、 半年幽閉され、 無罪になった。 565年3月、死んだ。 皇帝も同じ年の11月に死んだ。
「目を潰されて、乞食になった」という話は12世紀に生まれ、 18世紀にマルモンテルが小説にし、 ダヴィッドが「ベリサリウスに施しを」を描いた。 プロコピオスは、そう書いていない。