概要
戦車競走の青組と緑組が手を組み、「勝て(ニカ)」と叫んで街を焼き、別の皇帝を立てた。逃げようとした皇帝を皇后テオドラが「帝衣はよい経帷子だ」と止め、ベリサリウスが競技場で3万人を殺した。焼けた聖堂の跡にハギア・ソフィアが建つ。
場所
コンスタンティノープル
41.01°N 28.98°E · トルコ・イスタンブール
41.01°N 28.98°E · トルコ・イスタンブール
関わった人(3)
ユスティニアヌス1世AD482年頃–AD565年11月14日 · 皇帝テオドラAD500年頃–AD548年 · 皇后ベリサリウスAD500年頃–AD565年 · 鎮圧本文
コンスタンティノープルの競馬場には、青組と緑組があった。 戦車の御者の色で、市民が二つに分かれていた。 政治と宗教の派閥でもあり、 皇帝は青組を贔屓にしていた。
532年1月、暴動の首謀者の処刑が失敗し、 二人が生き残って修道院に逃げた。 市民は助命を求め、 1月13日の競馬で、青と緑が一緒に叫んだ。 ニカ! 勝て! それから五日、街が焼けた。 元老院、ゼウクシッポス浴場、聖ソフィア聖堂。 皇帝の役人の解任を求め、認められても止まらず、 先帝の甥のヒュパティオスを皇帝に担いだ。
ユスティニアヌスは船で逃げようとした。 プロコピオスの『戦史』によれば、テオドラが言った。 「逃げるのは簡単だ。船も金もある。 だが逃げて生き延びて、皇后でなくなって、それが良いか。 帝衣はよい経帷子だ」。 古い言葉、と彼女は言った。
1月18日、ベリサリウスとムンドゥスの兵が 競馬場の観客席に二方向から入り、 出口を塞いで、殺した。 3万人、とプロコピオスは書く。 ヒュパティオスは翌日処刑された。
焼けた聖ソフィアの跡に、 40日後に新しい聖堂の工事が始まった。 5年で完成する。 ユスティニアヌスは競馬場の派閥を、以後、二度と怖れなかった。