概要
筑紫の首長磐井が、新羅と結んで、ヤマトの半島派遣軍を止めた。一年半戦って敗れる。列島の政権が九州を直接押さえた最初で、磐井の墓とされる岩戸山古墳には石人石馬が並ぶ。
場所
八女(岩戸山古墳)
33.21°N 130.56°E · 福岡県
33.21°N 130.56°E · 福岡県
本文
『日本書紀』継体21年。 近江毛野臣が6万を率いて、 新羅に奪われた南加羅(金官伽耶)を取り戻すため、任那へ向かった。 筑紫国造磐井は新羅から賄賂を受け、 火(肥)と豊の国を押さえて、毛野臣の軍を海で止めた。 「今は使者でも昔は仲間だった。同じ釜の飯を食った。 使者になったからと、俺を従わせられると思うか」と言った、と書く。
物部麁鹿火が派遣され、 翌年11月、御井郡(久留米)で戦って、磐井を斬った。 子の葛子は糟屋の屯倉を献じて死を免れた。
『筑後国風土記』逸文には別の話がある。 磐井は生前に自分の墓を作り、 石人と石馬を並べていた。 負けて豊前へ逃げ、山の中で死んだ。 官軍は墓の石人の手を折り、石馬の頭を落とした。
八女の岩戸山古墳、全長135メートル。 北部九州で最大で、 石人石馬が実際に並んでいる。 壊された跡のあるものがある。
半島の情勢に、列島の中の争いが重なった年になる。 ヤマトは筑紫を直接押さえ、 那津に官家を置き、 大宰府の前身がここから始まる。