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Event / できごと

ベリサリウスのローマ奪還

Belisarius retakes Rome
AD536年12月9日
重要度 3

概要

60年ぶりにローマ皇帝の軍がローマに入った。翌年、東ゴートが一年囲み、水道を切った。以後20年の戦争でイタリアは荒れ、ローマの人口は数万に落ちる。取り戻したものは、取り戻す前より小さかった。

場所

ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州

関わった人(1)

ベリサリウスAD500年頃–AD565年 · 将軍

本文

ヴァンダルを一年で滅ぼしたベリサリウスが、 535年、7500の兵でシチリアに上陸した。 ナポリを水道の中を通って落とし、 536年12月9日、ローマに入った。 東ゴートの守備隊は北の門から出て行った。

東ゴート王ウィティギスは翌年2月、 15万と伝わる軍でローマを囲んだ。 14の水道を切った。 ローマの水車が止まり、ベリサリウスはテヴェレ川に浮かべた船に水車をつけた。 浴場が止まった。 それから千年、ローマの丘の上に人が住めなくなる。 水は川の近くにしかなかった。

包囲は一年と九日。 飢えと疫病で両方が疲れ、538年3月にゴートが退いた。 540年、ベリサリウスはラヴェンナに入り、 ウィティギスを捕えてコンスタンティノープルに送った。 ゴートは彼を西の皇帝に立てようとした。 ベリサリウスは応じるふりをしてラヴェンナを開けさせ、応じなかった。 ユスティニアヌスはそれを疑って、呼び戻した。

戦争はそれで終わらなかった。 トティラがゴートを立て直し、 546年にローマを取り、城壁を壊し、住民を追い出した。 40日、ローマに誰も住まなかった。 ベリサリウスがまた取り、トティラがまた取った。 552年にナルセスがトティラを殺し、553年に終わった。

18年の戦争で、イタリアの都市は荒れ、 元老院貴族の家はほとんど絶えた。 ローマの人口は数万になり、 15年後にランゴバルドが北から入ってくる。 帝国はラヴェンナと南の一部を保ち、 イタリアの残りは、また失われた。

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