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Person / 人

グレゴリウス1世

Gregory the Great
AD540年頃 – AD604年3月12日(享年64・推定)
ローマ教皇領重要度 4

概要

ローマの市長官から修道士になり、疫病の年に教皇に選ばれた。ランゴバルドと自分で交渉し、教会の領地で飢えたローマを養い、イングランドに宣教師を送った。「神の僕たちの僕」と自分を呼んだ最初の教皇。聖歌にその名がついた。

関わったできごと(2)

グレゴリウス1世の即位AD590年 · 教皇アウグスティヌスのケント布教AD597年 · 送った教皇

本文

ローマの元老院貴族の家。 曾祖父は教皇フェリクス3世。 父ゴルディアヌスはローマの行政官で、 家はカエリウスの丘にあった。

572年頃、ローマの市長官(プラエフェクトゥス・ウルビ)。 30代。 それから家を修道院にして、修道士になった。 シチリアの領地にも六つの修道院を建てた。 579年、教皇ペラギウス2世がコンスタンティノープルの使節にした。 6年、皇帝の宮廷にいて、ギリシア語を覚えなかった、と自分で言う。 ランゴバルドに対する援軍を求めて、得られなかった。

590年、テヴェレが溢れ、疫病が来て、教皇が死んだ。 グレゴリウスが選ばれた。 逃げようとして、籠に入ってローマを出ようとした、と伝説は言う。 皇帝の承認を待つ間、 7つの行列を街に組織して、疫病の終わりを祈らせた。 ハドリアヌス廟の上に剣を鞘に収める天使が現れた、と。 サンタンジェロ城の名の起こり。

「神の僕たちの僕」(セルウス・セルウォールム・デイ)。 教皇の自称になった。 コンスタンティノープルの総主教が「全地の総主教」と名乗るのを、 傲慢だと責めた。

ランゴバルドがローマを囲んだ。 皇帝の総督はラヴェンナにいて、来なかった。 グレゴリウスは自分で金を払って講和した。 「私は蛮族の剣の下で、この4年、 教会の牧者というより、この街の役人だった」。 教会の領地(聖ペテロの世襲領)を整理し、 シチリアとアフリカとガリアから穀物を運ばせて、ローマに配った。 教皇領の始まりになる。

『牧会規定』。 司教の心得。 アルフレッド大王が古英語に訳した。 『対話』。 ベネディクトの伝記が第2巻。 『ヨブ記講解』35巻。 854通の手紙が残る。

596年、アウグスティヌスをイングランドへ。 597年、レカレドの改宗を祝った。 ランゴバルドの女王テオデリンダに手紙を書き、 その息子を正統で育てさせた。

聖歌の整理は後世の伝で、 「グレゴリオ聖歌」の名は8世紀からになる。 本人は歌を歌ったか、分からない。

604年3月12日に死んだ。 痛風で寝たきりで、 最後の数年は口述で仕事をした。 ラテン教父の四人の最後、 「大教皇」と呼ばれる二人の最初になる。