概要
相続を認めないと戦争を仕掛けられ、それを凌いで40年治めた。義務教育の導入など制度を作り替える。
関わったできごと(2)
オーストリア継承戦争AD1740年 · 守る側マリア・テレジアの統治1740年 · 当人本文
23歳で即位した2か月後に、 プロイセンがシュレージエンへ侵入した。 父が各国に認めさせていた相続の約束は、守られなかった。
ハンガリー貴族の前に、 生まれたばかりの息子を抱いて立ち、支援を訴えた場面が伝わる。 実際には周到に準備された演出だったとされる。
戦争を凌いだ後、国家の作り替えに入った。 貴族への課税、行政の中央集権化、常備軍の整備。 そして1774年、6歳から12歳までの就学を義務にした。 ヨーロッパでも早い時期の義務教育になる。
16人の子を産み、そのうち10人が成人した。 末娘がマリー・アントワネットになる。 子の結婚は、すべて外交の道具として使われた。
正式な称号は「神聖ローマ皇帝の妃」だった。 実権を持ちながら、皇帝の位は夫のものだった。