概要
女性の相続を認めないと戦争を仕掛けられ、それを凌いだ。義務教育を導入し、帝国の仕組みを作り替える。
場所
ウィーン
48.21°N 16.37°E · オーストリア
48.21°N 16.37°E · オーストリア
関わった人(1)
マリア・テレジアAD1717年5月13日–AD1780年11月29日 · 当人本文
父カール6世は、娘に相続させるため 「国事詔書」を各国に認めさせていた。 父の死の2か月後、プロイセンがシュレージエンに侵入する。 約束は守られなかった。
オーストリア継承戦争を凌ぎ、 シュレージエンは取り返せなかったが、王位は守った。
その後にやったのが、国家の作り替えになる。 貴族に課税し、行政を中央に集め、 常備軍を整え、初等教育を義務にした。 6歳から12歳までの就学を定めたのは1774年で、 ヨーロッパでも早い。
16人の子を産み、そのうちの一人が のちにフランス王妃になるマリー・アントワネットになる。
自身は「女帝」と呼ばれるが、 正式な称号は神聖ローマ皇帝の妃だった。 実権を持ちながら、称号は夫のものだった。