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Event / できごと

オーストリア継承戦争

War of the Austrian Succession
AD1740年
重要度 3

概要

女性の相続を各国が認めないと言い出し、8年の戦争になった。プロイセンがシュレージエンを取り、マリア・テレジアは帝位以外を守り切る。

場所

ウィーン
48.21°N 16.37°E · オーストリア

関わった人(2)

マリア・テレジアAD1717年5月13日–AD1780年11月29日 · 守る側フリードリヒ2世(大王)AD1712年1月24日–AD1786年8月17日 · 攻める側

本文

カール6世には、男子がいなかった。

娘のマリア・テレジアに相続させるため、 生前に各国へ承認を取って回った。

「国事詔書」と呼ばれる。

死んだ途端に、各国が反故にした。

最初に動いたのがプロイセンのフリードリヒ2世で、 即位して半年、シュレージエンに攻め込んだ。

理由は後から作った。

バイエルン、フランス、スペインが続き、 バイエルン選帝侯が皇帝に選ばれた。

ハプスブルクでない皇帝は300年ぶりになる。

マリア・テレジアはハンガリーの議会に赴き、 生まれたばかりの息子を抱えて援軍を求めた。

ハンガリーの貴族が応じた。

8年戦って、シュレージエン以外を守り切る。

夫が皇帝に選ばれ、帝位も戻った。

だがシュレージエンは戻らず、 その恨みが七年戦争になる。

戦争は北米とインドにも飛び火した。

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