← 地図で見る
Person / 人

乃木希典

Nogi Maresuke
AD1849年12月25日 – AD1912年9月13日(享年62)
日本重要度 4

概要

西南戦争で連隊旗を奪われ、生涯それを恥じた。旅順で二人の息子と6万人を失い、帰国して天皇に「切腹したい」と言い、「私が死んでからにせよ」と言われた。学習院長として昭和天皇を育て、明治天皇の大喪の日に妻と自刃した。

所属

日本

関わったできごと(2)

旅順攻囲戦AD1904年8月19日 · 司令官日露戦争1904年 · 第三軍

本文

長府藩。 江戸、 毛利家の屋敷で生まれた。 父希次は、 80石。 「無人」(なきと)。 幼名。 「泣き虫」。 父が、 冬に、 冷水を、 かけた。 1858年、 長府。 1864年、 玉木文之進。 吉田松陰の叔父。 「農業を、 しながら、 学べ」。 1865年、 報国隊。 1868年、 戊辰。 1871年、 陸軍少佐。 「フランス式」。 1876年、 萩の乱。 玉木文之進は、 弟子が乱に加わった責任で、 自刃した。 乃木の弟も、 乱で死んだ。 1877年、 西南戦争。 歩兵第14連隊長。 2月22日、 植木。 「連隊旗を、 奪われた」。 旗手が死に、 旗が。 「軍旗喪失」。 「自決を」。 児玉源太郎が、 止めた。 「乃木は、 この日から、 35年、 その旗のために」。 1878年、 静子と結婚。 薩摩。 1879年、 勝典。 1881年、 保典。 1886年、 ドイツ。 川上操六と。 1年半。 「軍人の、 品位」。 「帰ってから、 乃木は、 軍服で、 寝た」。 1894年、 日清。 歩兵第1旅団長。 旅順。 1日で落とした。 「1日で落ちた」。 1896年、 台湾総督。 1898年、 辞任。 「休職」。 那須。 農業。 1904年5月、 第三軍司令官。 「旅順」。 「10年前は、 1日で」。 8月19日。 11月30日、 保典。 「203高地」。 5月27日、 勝典。 「南山」。 「乃木は、 勝典の死を聞いて、 『よく死んだ』と、 言った」。 「保典の死を聞いて、 『そうか』と」。 「静子は、 二人の遺骨を、 迎えた」。 1905年1月5日、 水師営。 ステッセル。 「乃木は、 写真を、 一枚だけ、 許した」。 「敗軍の将を、 辱めない」。 「帯剣」。 「ステッセルの白馬」。 「寿号」。 乃木が、 飼った。 3月、 奉天。 1906年1月、 帰国。 「復命書」。 「乃木は、 天皇の前で、 声が出なかった」。 「多くの将兵を、 死なせました」。 「泣いた」。 「腹を切りたい」。 「朕が生きている間は、 許さない」。 1907年、 学習院院長。 「裕仁親王」。 「乃木院長は、 寄宿舎に、 一緒に住んだ」。 「質素」。 1912年7月30日、 明治天皇が死んだ。 9月13日、 大喪。 午後8時、 号砲。 赤坂の自宅。 「乃木は、 軍服で、 切腹した」。 「静子は、 喉を」。 「遺書」。 「西南戦争で軍旗を失った罪を、 死をもって」。 「35年」。 「殉死」。 「明治の精神」。 『こころ』。 漱石。 「先生」。 「私は、 明治の精神に、 殉死する」。 鷗外。 『興津弥五右衛門の遺書』。 5日後に。 『阿部一族』。 「殉死」。 「乃木神社」。 「乃木坂」。 「乃木は、 無能だったか」。 「乃木は、 軍人だったか」。 「乃木は、 明治だった」。