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Event / できごと

旅順攻囲戦

Siege of Port Arthur
AD1904年8月19日
重要度 4

概要

乃木の第三軍が要塞を5か月囲み、203高地を取るまでに6万人を失った。乃木は二人の息子をここで失った。機関銃と鉄条網とコンクリートの要塞に歩兵で向かう戦争の、最初の大きな例になる。

場所

旅順
38.80°N 121.26°E · 中国・遼寧省大連

関わった人(1)

乃木希典AD1849年12月25日–AD1912年9月13日 · 司令官

本文

旅順。 遼東半島の先。 1898年、 ロシアが租借。 要塞。 コンクリート。 ベトン。 1904年2月8日、 日本の水雷艇が、 奇襲。 宣戦布告の前。 旅順艦隊は、 港の中に。 「閉塞作戦」。 広瀬武夫。 3月27日。 「杉野はいずこ」。 軍神。 5月、 第二軍が金州。 南山。 1日で4000人。 「1日で、 日清戦争全部の弾を撃った」。 8月19日、 第三軍。 乃木希典。 「第一回総攻撃」。 5万。 正面から。 東鶏冠山、 二龍山、 松樹山。 6日。 1万5860人。 「機関銃」。 マキシム。 「鉄条網」。 「べトン」。 「歩兵の突撃は、 無駄だった」。 9月19日、 第二回。 203高地。 「取れなかった」。 10月26日、 第三回。 坑道。 「爆破」。 乃木の次男保典が、 11月30日、 203高地で。 長男勝典は、 5月、 南山で。 「二人とも」。 「乃木は、 息子の死を聞いて、 『そうか』とだけ言った」。 11月26日、 「白襷隊」。 夜襲。 3100人。 半分が。 11月27日、 203高地に集中。 12月5日。 「取った」。 28センチ榴弾砲。 海岸要塞から持ってきた。 「観測所」。 港の艦隊を、 砲撃。 沈めた。 児玉源太郎が来た。 総参謀長。 「乃木を替えろ」と、 東京から。 「乃木の名で」。 1905年1月1日、 ステッセルが降伏。 1月5日、 水師営。 「敵の将軍に、 帯剣を許した」。 「乃木大将と会見の所はいずこ、 水師営」。 文部省唱歌。 日本、 死傷者5万9000人。 死者1万5400人。 ロシア、 死傷者3万1000人。 「乃木は無能だった」。 司馬遼太郎。 『坂の上の雲』。 「203高地を、 最初から狙えば」。 「要塞戦は、 どこでも、 こうだった」。 1916年、 ヴェルダン。 10か月で70万。 第一次世界大戦の将軍たちは、 旅順を、 見に来ていた。 イギリスの観戦武官イアン・ハミルトン。 「機関銃と、 鉄条網と、 塹壕」。 学ばなかった。 乃木は、 帰って、 天皇に、 「多くの兵を殺しました」。 泣いた。 1912年9月13日。

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