概要
国ではなく、ベルギー王レオポルド2世の私有地だった。ゴムの割当を満たさない村の手を切り落とし、人口の半分近くが失われたとされる。
場所
キンシャサ
-4.44°N 15.27°E · コンゴ民主共和国
-4.44°N 15.27°E · コンゴ民主共和国
本文
1885年のベルリン会議で、コンゴ盆地はベルギー王レオポルド2世の個人の所有と認められた。 ベルギーという国の植民地ではない。王一人のものだった。 面積はベルギーの80倍になる。
1890年代に自転車と自動車の空気タイヤが広まり、ゴムの値が上がった。 王は村ごとにゴムの割当を課した。 満たさない村は兵に襲われ、人質を取られ、殺された者の手が数の証拠として集められた。
人口は、統治の前と後で数百万人減ったとされる。 殺されただけでなく、飢えと病と出生の減少を合わせた数になる。 正確な数は分からない。数える者がいなかった。
宣教師と船会社の事務員が記録を集め、1904年に報告書が出た。 国際的な非難で、1908年にベルギー政府が王から引き取った。
『国家はなぜ衰退するのか』は、これを収奪的な制度の極端な例にし、 独立後のモブツの統治がその形を引き継いだ、と続ける。
出典(1)
ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン(鬼澤忍 訳) 『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源』第12章 悪循環