概要
大政奉還のひと月後に斬られた。下手人は今も定まらない。
場所
京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
関わった人(1)
坂本龍馬1836年–1867年12月10日(慶応3年11月15日) · 当人本文
大政奉還の1か月後、京都・近江屋の二階で 中岡慎太郎とともに斬られた。33歳。
下手人は、見廻組とする説が有力だが、確定していない。 新選組説、薩摩説も長く唱えられてきた。 実行者を名乗る証言が複数あり、互いに食い違う。
彼の立場は独特だった。 藩に属さず、商社(亀山社中・海援隊)を作り、 薩摩の名義で武器を動かし、 どちらの側にも顔が利いた。
大政奉還後の構想を書いたとされる「船中八策」も、 後世の整理が入っている可能性が指摘されている。
英雄としての像の多くは、 明治末の小説と、戦後の司馬遼太郎の作品で作られた。