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Event / できごと

オーストラリアのゴールドラッシュ

Australian gold rushes
1851年 – 1860年
期間を持つできごと重要度 3

概要

10年で人口が3倍になった。中国系移民も多く渡り、後の白豪主義の遠因にもなる。

場所

メルボルン
-37.81°N 144.96°E · オーストラリア・ビクトリア州

本文

10年で人口が3倍になった。

イギリス、アイルランド、そして中国から人が来た。

中国系の移民が数万人規模で入った。

摩擦が起きる。 ユーレカ砦の反乱(1854年)は 採掘免許への抗議から起きたが、 その前後に中国人排斥の暴動も起きている。

各植民地が、中国人の入国に人頭税を課しはじめた。

1901年に連邦が成立したとき、 最初に成立させた法律の一つが移民制限法になる。

事実上、非白人の移民を締め出す仕組みだった。 「白豪主義」と呼ばれる。

書き取り試験が使われた。 任意のヨーロッパ言語で試験を課せるので、 落としたい相手にはゲール語で出す、といったことができた。

この政策が完全に撤廃されるのは1970年代になる。

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