概要
「清廉の人」と呼ばれた弁護士が、死刑廃止を主張し、やがて恐怖政治を主導した。徳のない恐怖は有害で、恐怖のない徳は無力だ、と演説している。
関わったできごと(2)
フランス革命1789年 · のちに恐怖政治を主導する恐怖政治AD1793年9月 · 主導。最後に処刑された本文
アラスの弁護士の子で、 幼くして両親を失った。
奨学金でパリの名門校に学び、 弁護士として故郷に戻った。
貧しい依頼人を安く引き受けたと伝わる。
三部会に選ばれてパリへ行く。
演説は下手だった。
声が小さく、原稿を読む。
だが、一度も意見を曲げなかった。
「清廉の人」と呼ばれる。
死刑の廃止を主張した。
王の処刑には賛成した。
1793年、公安委員会に入る。
「徳と恐怖」を説き、革命裁判所が回った。
疑わしい者を、証拠なしで裁く法を通した。
友人だったダントンも処刑した。
最高存在の祭典を主宰し、 神のような振る舞いだと反発を買う。
1794年7月27日、議会で発言を遮られ、逮捕された。
翌日、裁判なしで処刑された。36歳。
自分が作った手続きで死んだ。