概要
革命を守るために、疑わしい者を裁判抜きで処刑した。1万6千人がギロチンにかかり、最後にロベスピエール自身が処刑されて終わる。
場所
パリ
48.86°N 2.35°E · フランス
48.86°N 2.35°E · フランス
関わった人(1)
マクシミリアン・ロベスピエールAD1758年5月6日–AD1794年7月28日 · 主導。最後に処刑された本文
1793年の秋、革命は内と外から攻められていた。
対仏大同盟の軍が国境に迫り、 ヴァンデで農民が反乱し、 物価が上がっていた。
国民公会は「恐怖」を日程に載せた。
反革命容疑者法。
疑わしい者を、証拠なしで拘束できる。
革命裁判所が、弁護も証人も省いて裁いた。
ギロチンにかかったのが、 パリで2600人、全国で1万6千人以上。
裁判なしで殺された者を入れれば数万になる。
マリー・アントワネット、ダントン、 化学者ラヴォアジエ、詩人シェニエ。
ロベスピエールは「徳と恐怖」を説いた。
徳のない恐怖は有害で、恐怖のない徳は無力だ、と。
1794年7月、テルミドール9日。
議会が彼を逮捕し、翌日、裁判なしで処刑した。
自分が作った手続きで死んだ。
恐怖政治は、その日に終わった。