概要
コサックが死んだ皇帝を名乗り、農奴とウラルの労働者を集めてヴォルガ流域を席巻した。鎮圧後、エカチェリーナは農奴制をむしろ強めた。
場所
カザン
55.80°N 49.11°E · ロシア・タタールスタン共和国
55.80°N 49.11°E · ロシア・タタールスタン共和国
関わった人(1)
エカチェリーナ2世AD1729年5月2日–AD1796年11月17日 · 鎮圧した本文
ドン・コサックのプガチョフが、 死んだ皇帝ピョートル3世を名乗った。
エカチェリーナに廃位されて殺された夫になる。
生きていて、農民を救いに来た、と。
ウラル・コサック、バシキール人、 ウラルの工場労働者、そして農奴が集まった。
農奴の解放と、土地の分配を約束している。
1773年から2年、ヴォルガ流域を席巻した。
カザンを焼き、要塞を落とした。
貴族と役人を吊るした。
正規軍が戻ってきて敗れ、 仲間に売られて捕らえられた。
モスクワで四つ裂きの刑になった。
エカチェリーナは、 啓蒙君主として農奴制の緩和を考えていた時期がある。
この乱のあと、やめた。
貴族の支持が要ると分かったためになる。
農奴制は、むしろ強められた。