概要
拷問は自白ではなく苦痛への耐性を測るだけだ、死刑は国家による殺人だ、と書いた。10年でヨーロッパ中の言葉に訳され、各国が刑法を書き直しはじめる。
場所
ミラノ
45.46°N 9.19°E · イタリア・ロンバルディア州
45.46°N 9.19°E · イタリア・ロンバルディア州
関わった人(1)
チェーザレ・ベッカリーアAD1738年3月15日–AD1794年11月28日 · 著者本文
1764年、26歳のミラノの貴族が、匿名で薄い本を出した。 題は『犯罪と刑罰』。
拷問は、自白ではなく苦痛への耐性を測るだけだ。 罪と罰は釣り合わなければならない。 刑は重さより確実さが人を止める。 死刑は、国家が人を殺すことであり、抑止の効果も無い。 そう書いた。
当時、ヨーロッパの大半で拷問は正規の手続きだった。 処刑は公開で、車裂きや火刑があった。 本は2年でフランス語に、数年でヨーロッパの主な言葉に訳された。 ヴォルテールが注釈を付けた。
1786年、トスカーナ大公が死刑を廃止した。 近代の国家で最初になる。 プロイセン、オーストリア、ロシアも拷問を廃止した。 本人は生涯ミラノを出ず、ほかに目立った仕事をしていない。
『暴力の人類史』は、この本を人道主義革命の起点に置く。 残虐な刑が数十年で「野蛮」と呼ばれるようになった、その転換の印として。
出典(1)
スティーブン・ピンカー(幾島幸子、塩原通緒 訳) 『暴力の人類史』第4章 人道主義革命