概要
第1巻が出た年は、アメリカ独立宣言と『国富論』の年でもある。1788年に全6巻。ローマが「なぜ滅びたか」を問う型を、以後の全員がこの本から引き継ぐ。
場所
ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
エドワード・ギボンAD1737年5月8日–AD1794年1月16日 · 著者本文
1776年2月、ロンドンで第1巻が出た。 アメリカ独立宣言の5か月前、『国富論』の1か月前になる。
著者は、1764年にローマのカピトリウムの廃墟で、 托鉢僧が晩祷を歌うのを聞いて、この街の衰亡を書こうと決めたと自伝に書いている。 出来すぎた話だが、本人がそう書いた。
第1巻は売れた。 同時に、第15章と第16章が非難を浴びた。 キリスト教の広がりを、奇跡ではなく人の事情で説明したからになる。 1788年、第6巻で1453年のコンスタンティノープル陥落まで書いて終えた。
新しかったのは、脚注になる。 すべての記述に史料を付け、史料どうしが食い違えばそれも書いた。 皮肉の効いた文体は、脚注にいちばん出ている。
「衰亡」という枠組みは、その後の全員に引き継がれた。 ローマの終わりを衰退ではなく変容と見る今の研究も、 この本に反論する形で書かれている。
出典(1)
エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史』全篇。1776年に第1巻、1788年に完結