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Person / 人

大スキピオ

Publius Cornelius Scipio Africanus
BC236年 – BC183年(享年53・推定)
共和政ローマ重要度 5

概要

ザマの戦いでハンニバルを破り、第二次ポエニ戦争を終わらせた。

別名

スキピオ・アフリカヌス、プブリウス・コルネリウス・スキピオ

関わったできごと(2)

イリパの戦いBC206年 · 総指揮ザマの戦いBC202年 · ローマ側 · 総指揮

本文

18歳でティキヌスの戦いに出て、負傷した父を救ったと伝わる。 カンナエでは生き残った側にいた。 19歳で、敗残兵が逃亡を相談しているところに剣を抜いて踏み込み、 留まる誓いを立てさせたという話が残る。

25歳、正規の官職の順序を飛ばしてヒスパニアの指揮を任された。 父と叔父が同じ地で戦死した直後で、 引き受け手がいなかったからでもある。

ハンニバルのやり方を研究した。 カルタゴ・ノウァを潮の引く潟から奇襲し、 イリパでは中央を薄く両翼を厚くする、 カンナエを裏返した配置を使っている。

勝者としての晩年は不遇だった。 公金横領の嫌疑をかけられ、弁明せずにローマを去る。 「恩知らずの祖国よ、私の骨を持つな」と遺言したと伝わる。