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Person / 人

ティムール

Timur
AD1336年4月9日 – AD1405年2月18日(享年68)
ティムール朝重要度 4

概要

中央アジアから西アジア・インドまで席巻した。サマルカンドを学問と建築の都にする。

所属

ティムール朝

関わったできごと(2)

ティムール帝国の拡大1370年 · 当人アンカラの戦いAD1402年7月20日 · ティムール側 · 総指揮

本文

モンゴルの血を引くと称したが、チンギスの直系ではない。 そのためハンを名乗れず、 傀儡のハンを立てて自らはアミールに留まった。

若い頃の負傷で、右足と右腕が不自由だった。 「ティムール・イ・ラング(跛のティムール)」から タメルランという呼び名になる。 1941年に墓が開かれ、遺骨がその損傷を裏づけた。

遠征のたびに、抵抗した都市で虐殺を行った。 頭蓋骨の塔を築いた記録が複数の都市に残る。

同時に、職人と学者は殺さずサマルカンドへ連れ帰った。 青いタイルの建築様式は、この集積から広がる。

孫のウルグ・ベクが天文台を建て、 1018個の星の位置を測った。

明への遠征に出発した直後、 その途上で死んだ。 向かった先の国は、来ることを知らなかった。