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Person / 人

李舜臣

Yi Sun-sin
AD1545年4月28日 – AD1598年12月16日(享年53)
朝鮮王朝重要度 4

概要

亀甲船を用いて日本の水軍を破り、補給線を断った。最後の海戦で流れ弾に倒れる。

所属

朝鮮王朝

関わったできごと(2)

閑山島の海戦AD1592年8月14日 · 朝鮮側 · 総指揮文禄・慶長の役1592年 · 朝鮮水軍

本文

文官の家に生まれ、32歳で武科に合格した。

遅い出発になる。

上官と衝突して、二度降格されている。

開戦の1年前、 異例の抜擢で全羅左道水軍節度使になった。

推薦したのは、幼馴染の柳成龍になる。

海戦で、負けなかった。

23戦して全勝という記録が伝わる。

亀甲船を用いた。 甲板を覆い、鉄の棘を植えて、 接舷して斬り込む戦法を封じる。

砲を積み、遠距離から撃つ。

讒言で失脚し、拷問を受け、 一兵卒に落とされた。

後任が漆川梁で大敗し、 残った船が12隻になったところで復帰する。

その12隻で、鳴梁で勝った。

最後の露梁の海戦で、流れ弾に倒れた。

「戦い、急なり。我が死を言うなかれ」と言ったと伝わる。