概要
亀甲船を用いて日本の水軍を破り、補給線を断った。最後の海戦で流れ弾に倒れる。
所属
朝鮮王朝関わったできごと(2)
閑山島の海戦AD1592年8月14日 · 朝鮮側 · 総指揮文禄・慶長の役1592年 · 朝鮮水軍本文
文官の家に生まれ、32歳で武科に合格した。
遅い出発になる。
上官と衝突して、二度降格されている。
開戦の1年前、 異例の抜擢で全羅左道水軍節度使になった。
推薦したのは、幼馴染の柳成龍になる。
海戦で、負けなかった。
23戦して全勝という記録が伝わる。
亀甲船を用いた。 甲板を覆い、鉄の棘を植えて、 接舷して斬り込む戦法を封じる。
砲を積み、遠距離から撃つ。
讒言で失脚し、拷問を受け、 一兵卒に落とされた。
後任が漆川梁で大敗し、 残った船が12隻になったところで復帰する。
その12隻で、鳴梁で勝った。
最後の露梁の海戦で、流れ弾に倒れた。
「戦い、急なり。我が死を言うなかれ」と言ったと伝わる。