概要
朝鮮へ二度出兵し、明も加わる国際戦争になった。秀吉の死で撤退し、三国とも疲弊する。
場所
白村江位置は特定されていない(誤差 ±25km)
36.00°N 126.70°E · 大韓民国・錦江河口付近(位置に諸説ある)
36.00°N 126.70°E · 大韓民国・錦江河口付近(位置に諸説ある)
関わった人(2)
豊臣秀吉AD1537年–AD1598年 · 命令李舜臣AD1545年4月28日–AD1598年12月16日 · 朝鮮水軍本文
秀吉が、朝鮮へ二度出兵した。
目的は明の征服とされる。 朝鮮に「道を貸せ」と要求し、断られて攻めた。
一度目は、20日でソウルを落とした。 だが、海で李舜臣に補給を断たれ、 各地で義兵が蜂起し、明の援軍が来る。
戦線が膠着した。
講和交渉が行われたが、 双方の使者が自国に都合よく報告したため、 条件が食い違ったまま決裂した。
二度目は、最初から劣勢だった。
秀吉の死で撤退する。
7年で、三国とも疲弊した。
朝鮮の被害が最も大きい。 人口が大きく減り、多くの陶工が連れ去られた。
明も財政を傷め、 その40年後に滅ぶ一因になる。
日本では、豊臣政権が弱り、 2年後に関ヶ原になる。