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Event / できごと

阿衡の紛議

Akō Controversy
AD888年(仁和4年)
重要度 3

概要

宇多天皇が藤原基経を関白にする詔に「阿衡の任」と書いた。基経は「阿衡は位だけで職務がない」と半年出仕を止めた。天皇は詔を書き直し、起草した橘広相を罰した。関白の力が天皇を上回ることを見せた。宇多は基経の死後、菅原道真を用いた。

場所

京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府

関わった人(1)

藤原基経AD836年–AD891年2月25日 · 関白

本文

887年8月、光孝天皇が死んだ。 宇多天皇。21歳。臣籍に降りていた。基経が戻した。 11月、宇多が基経を関白にする詔。橘広相が起草。 基経が辞退。二度目の詔。「阿衡の任を以て卿の任とせよ」。 「阿衡」。殷の伊尹の称号。 藤原佐世が基経に「阿衡は位だけで職掌がない」。 基経が出仕をやめた。政務が止まった。 888年。半年。 宇多は日記に「私は口惜しい」。 藤原の学者は「阿衡は職がない」。菅原道真は讃岐から「阿衡に職はある」と手紙を送ったが、それは基経を止めるためではなく、広相を庇うため。 6月、宇多が詔を撤回。「広相の文が悪かった」。 広相は罰せられかけ、道真が「学者を罰すれば学者がいなくなる」と基経に。 広相は許された。翌年、死んだ。 基経の娘温子が宇多の女御に。 「阿衡の紛議」。 「関白の力」。 891年、基経が死んだ。 宇多は摂政関白を置かなかった。道真を蔵人頭に、参議に、右大臣に。 「寛平の治」。 897年、退位。「寛平御遺誡」。醍醐に。「道真を用いよ。時平は若いが」。 901年、時平が道真を大宰府へ。 伊尹。阿衡。 「殷の宰相の称号を、平安の関白が、職務と関係ないと言って、半年、政治を止めた」。 「字の話」。 「宇多は、それで、藤原に、頭が上がらなくなった」。 道真は、それで、用いられて、追われた。

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