概要
3個軍団が全滅し、ローマはライン川より東への拡大を諦めた。ヨーロッパの東西を分ける線がここで決まる。
場所
トイトブルク森位置は特定されていない(誤差 ±25km)
52.19°N 8.62°E · ドイツ・ニーダーザクセン州(戦場の位置は長く不明だった)
52.19°N 8.62°E · ドイツ・ニーダーザクセン州(戦場の位置は長く不明だった)
本文
ウァルスは属州総督として、ゲルマニアを税と法で治める段階に入ったと考えていた。 案内役のアルミニウスは、ローマで教育を受け、 騎士の身分を与えられたケルスキ族の首長の子だった。
反乱の報を聞いて動いた行軍隊列が、 森と湿地の細道で数日にわたり襲われた。 3個軍団、約2万が消えた。 軍団番号17・18・19は、二度と再編されなかった。
アウグストゥスは何か月も髭を剃らず、 「ウァルスよ、私の軍団を返せ」と壁に頭を打ちつけたと伝わる。
以後、ローマの国境はライン川に固定された。 ライン川の西はロマンス語圏に、東はゲルマン語圏になる。 ヨーロッパの言語の境目は、おおむねこの線に沿っている。
出典(1)
塩野七生 『ローマ人の物語』VI パクス・ロマーナ