概要
新羅の将軍甄萱が全州で後百済を、僧弓裔が鉄原で後高句麗を名乗った。新羅は慶州の周りだけに。弓裔は自分を弥勒と呼んで妻子を殺し、部下の王建に追われた。甄萱は息子に幽閉されて王建に降り、自分の国を攻める側に立った。
場所
35.82°N 127.15°E · 韓国・全羅北道
関わった人(2)
甄萱AD867年–AD936年 · 後百済弓裔?–AD918年 · 後高句麗本文
889年、新羅の真聖女王。税が取れず、催促すると各地で盗賊。元宗と哀奴が沙伐州で。 892年、甄萱。尚州の農民の子で、西南海の防戍の裨将。5000で武珍州(光州)を取った。「後百済王」を名乗り、900年に完山(全州)に都した。 「私は百済の義慈王の恨みを晴らす」。 弓裔。891年に梁吉の下で、894年に溟州で3500、895年に鉄円。 901年、王を名乗った。「高麗」。「昔、新羅が唐に高句麗を滅ぼさせた。平壌の旧都は荒れた。私が仇を返す」。 904年、摩震。905年、鉄円に都。911年、泰封。 自分を弥勒仏と呼び、頭に金の帽子、体に方袍。長男を青光菩薩、次男を神光菩薩。20巻の経を自分で作り、講じさせた。僧釈聡が「みな邪説」と言うと鉄槌で殺した。 「私は観心法で人の心を読める」。三尺の鉄杵で臣下を殺した。妻康氏が諫めると「お前は他の男と通じている」。「私の観心で知った」。鉄杵を火で焼いて陰部を突いて殺し、二人の子も。 918年6月、洪儒、裴玄慶、申崇謙、卜智謙が王建を推した。王建は「私はできない」。妻柳氏が鎧を着せた。 弓裔は逃げて、麦の穂を取って食べていて、平康の民に殺された。
新羅は慶州の周りだけ。 927年、甄萱が慶州に入った。景哀王は鮑石亭で酒宴。王を自殺させ、妃を犯し、金傅を立てた。敬順王。 王建が救いに来て公山で大敗、申崇謙が王建の服を着て身代わりに死んだ。 930年、古昌(安東)で王建が勝った。 935年、甄萱は四男金剛を継がせようとして長男神剣に金山寺に幽閉された。3か月。羅州に逃げて王建に降った。「尚父」。 935年11月、敬順王が高麗に降った。太子は麻の衣で金剛山へ。麻衣太子。 936年9月、一利川。王建と甄萱が神剣を破った。甄萱は数日後に黄山の寺で死んだ。「憂憤で背中に腫れ物」。 後三国は44年で終わった。
『三国史記』は弓裔と甄萱を「叛逆」の列伝に置いた。高麗の側から。 弓裔は片目の弥勒で妻子を殺した狂人として書かれた。鉄原には弓裔の城の跡がDMZの中にある。 2000年のドラマ『太祖王建』。弓裔役の俳優が「誰だ、私を裏切る者は」。それで弓裔は韓国で誰でも知る名になった。