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Event / できごと

トマス・モアの処刑

Execution of Thomas More
AD1535年7月6日
重要度 4

概要

王を教会の首長と認める宣誓を拒んだ。「私は王のよい僕だが、神の僕がその前にある」。首は橋に晒され、娘が引き取った。400年後に聖人になり、「すべての季節の男」と映画になった。

場所

ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド

関わった人(2)

トマス・モアAD1478年2月7日–AD1535年7月6日 · 処刑ヘンリー8世AD1491年6月28日–AD1547年1月28日 · 王

本文

1532年5月16日、 モアは大法官を辞めた。 「病気」。 王の離婚に、 反対せず、 賛成もせず。 1533年6月、 アン・ブーリンの戴冠式。 行かなかった。 「私は、 呼ばれなかった」。 王は、 それを、 覚えていた。

1534年3月、 継承法。 アンの子が、 継ぐ。 王の最初の結婚は、 無効。 宣誓。 4月13日、 ランベス。 モアは、 「継承には、 誓う。 だが、 前文には、 誓わない」。 前文は、 教皇の権威を、 否定していた。 理由を、 言わなかった。 「私は、 誰も、 非難しない。 自分の、 良心を、 言うだけ」。 4月17日、 ロンドン塔。 「鐘の塔」。 15か月。 娘マーガレット。 『苦難に対する慰めの対話』。 ハンガリー人の叔父と甥の対話。 トルコに囲まれた。 「トルコ」は、 王。 1534年11月、 首長令。 王が、 イングランド教会の、 唯一の首長。 反逆法。 「王の称号を、 悪意をもって、 否定する者は、 反逆」。 「悪意をもって」。 モアは、 黙っていた。 「沈黙は、 同意と、 見なされる」。 法律家として、 知っていた。 1535年6月12日、 リチャード・リッチ。 法務次官。 ロンドン塔で、 モアの本を、 取り上げに来た。 「もし、 議会が、 私を王にする法を作れば、 あなたは、 私を王と認めるか」。 「認める」。 「では、 議会が、 神を、 神でないと決めれば」。 「議会は、 それはできない」。 モアは、 言った、 とリッチは証言した。 「議会は、 王を、 教会の首長に、 することはできない」。 モアは、 「言っていない」。 「リッチは、 嘘つき。 ロンドン中が、 知っている」。 7月1日、 ウェストミンスター。 陪審は、 15分。 有罪。 そのあと、 モアは、 初めて、 言った。 「この法は、 神の法と、 教会の法に、 反する」。 「教会は、 一つで、 イングランドは、 その一部」。 「私は、 すべての、 聖人と、 共にある」。 「私は、 あなたたちを、 恨まない」。 「パウロは、 ステファノの、 石打ちに、 同意した。 二人は、 いま、 天で、 共にいる」。 7月6日。 タワー・ヒル。 「私を、 上まで、 助けてくれ。 下りは、 自分でする」。 処刑人に。 「私の首は、 短い。 気をつけて」。 「髭を、 よけてくれ。 髭は、 反逆を、 していない」。 そう伝える。 「王のよい僕、 だが、 神の僕が、 先」。 「The king's good servant, but God's first」。 首は、 ロンドン橋。 1か月。 マーガレット・ローパーが、 買い取った。 「父の首を、 自分の墓に」。 カンタベリー、 聖ダンスタン教会。 ローパー家の墓所。 いまも、 そこに。 体は、 ロンドン塔の、 聖ペテロ・アド・ヴィンクラ教会。 アン・ブーリンも、 翌年、 同じ場所に。 ジョン・フィッシャーは、 2週間前に。 ロチェスター司教。 エラスムスは、 「モアの中で、 私も、 死んだ」。 1886年、 列福。 1935年、 列聖。 400年。 1966年、 『わが命つきるとも』。 『A Man for All Seasons』。 ロバート・ボルト。 ポール・スコフィールド。 アカデミー賞6部門。 「沈黙」。 「良心」。 2009年、 『ウルフ・ホール』。 ヒラリー・マンテル。 クロムウェルの側から。 モアは、 異端者を焼く、 冷たい男。 両方。

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