概要
ルターの問いかけが印刷術に乗って広がり、西方教会が割れた。宗教改革の始まり。
場所
ヴィッテンベルク
51.87°N 12.64°E · ドイツ
51.87°N 12.64°E · ドイツ
関わった人(1)
マルティン・ルターAD1483年11月10日–AD1546年2月18日 · 当人本文
論題そのものは、免罪符の販売に対する神学上の疑問を ラテン語で並べたものだった。討論の申し出であって、 教会を割るつもりの文章ではない。
扉に打ち付けたという場面は、後の伝承である可能性が高い。 確かなのは、同じ日に大司教へ手紙で送っていることのほうだ。
広まり方が前と違った。 数週間でドイツ語に訳され、印刷されて各地へ回った。 本人が驚いたと書いている。
免罪符の売上は、ローマのサン・ピエトロ大聖堂の 建て替え費用に充てられていた。 ドイツの金がイタリアへ流れることへの不満が、 神学の議論に政治の重みを与える。
破門され、帝国から追放されたが、 領邦君主に匿われて聖書をドイツ語に訳した。 その訳文が、書き言葉としてのドイツ語をほぼ作った。
動画(1)
出典(2)
マックス・ウェーバー(大塚久雄 訳) 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』第1章(ルターの天職〈ベルーフ〉観念)
ベネディクト・アンダーソン(白石隆、白石さや 訳) 『想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』第3章 国民意識の起源(俗語で印刷するということ)