概要
アステカが滅びた。決め手は武器よりも、持ち込まれた疫病だった。
場所
テノチティトラン
19.43°N -99.13°E · メキシコ・メキシコシティ
19.43°N -99.13°E · メキシコ・メキシコシティ
関わった人(3)
マリンチェAD1500年頃–AD1529年頃 · 通訳エルナン・コルテスAD1485年–AD1547年12月2日 · スペイン側 · 総指揮モクテスマ2世AD1466年頃–AD1520年 · アステカ側本文
コルテスが率いたスペイン人は数百人にすぎない。 落とせたのは、アステカに貢納を強いられていた諸都市が 味方についたからだった。トラスカラだけで数万を出している。
もう一つは病だった。1520年に天然痘が入り、 包囲される前に都の人口が大きく減っている。 免疫を持たない集団に入った疫病の致死率は、 戦闘の損害とは桁が違う。
79日の包囲のあと、湖の上の都は落ちた。 神殿は崩され、その石で大聖堂が建てられ、 湖は埋め立てられていまのメキシコシティになる。
征服者に協力した都市も、その後まとめて植民地に組み込まれた。
出典(4)
ベルナルディーノ・デ・サアグンとナワの筆記者たち 『フィレンツェ絵文書』第12書
ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳) 『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』第15章 科学と帝国の融合
ジャレド・ダイアモンド(倉骨彰 訳) 『銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』第18章 旧世界と新世界の遭遇
ウィリアム・H・マクニール(佐々木昭夫 訳) 『疫病と世界史』第5章 大洋を越える交流