概要
「邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん」。全国を8大学区、256中学区、5万3760小学区に分けた。授業料は親の負担で、就学率は最初3割。学校が焼き討ちされた県もある。それでも30年で9割になった。
場所
東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
明治5年8月2日、太政官布告。 「学事奨励に関する被仰出書」。 「学問は身を立てるの財本」。 「自今以後、一般の人民、華士族農工商及び婦女子、 必ず邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん事を期す」。
翌日、学制。 109章。 フランスの学区制を写した。 全国を8大学区、 1大学区を32中学区、 1中学区を210小学区。 小学校5万3760校。 人口600人に1校。 下等小学4年、上等小学4年。 6歳から。
金は国が出さなかった。 「学校の費用は民が負担する」。 授業料は月50銭。 米が1升5銭の頃。 校舎は村の金で。 寺を使った。 寺子屋の師匠が教師になった。 就学率、 1873年、28%。 女子は15%。 「学校を焼け」。 1873年、 美作の血税一揆で小学校が焼かれ、 筑前竹槍一揆で29校。 1876年、 三重、愛知、岐阜で。 「学校は税を増やす」 「子供を取られる」。
1879年、教育令。 アメリカ式に。 地方の裁量に。 「自由教育令」。 翌年、また改めた。 1886年、森有礼の学校令。 小学校令、中学校令、帝国大学令、師範学校令。 1900年、授業料を廃止。 1907年、6年制。 就学率、 1902年、90%。 1910年、98%。 30年。
「日本の教育は、 江戸の寺子屋の上に建った」と言う人と、 「学制は寺子屋を壊した」と言う人がいる。 両方だった。 「身を立てる」ための学校が、 30年で「国のため」の学校になった。 教育勅語が、その間に来た。