概要
法・術・勢で君主が国を保つ道を説いた。始皇帝が感嘆し、そして著者を獄死させた。
場所
咸陽
34.33°N 108.71°E · 中国・陝西省
34.33°N 108.71°E · 中国・陝西省
関わった人(1)
韓非BC280年頃–BC233年 · 著者本文
韓の公子として生まれた。吃音があり、弁論に向かなかった。 そのぶん書いた。
説いたのは、人は利で動くという前提から始まる統治になる。 君主は徳ではなく、法・術・勢で国を保つ。 法を明文化し、臣下を操る術を持ち、地位の力を使う。
家族の情も、君臣の忠も当てにしない。 親が子を育てるのも、 医者が膿を吸うのも、利のためだと書く。
秦王政(のちの始皇帝)がこれを読み、 「この人に会えたら死んでもいい」と言ったと伝わる。
会えた。そして獄に入れられ、毒を仰いだ。 同門の李斯が讒言したとされる。
自分の書いた術で、自分が処理されたことになる。 その思想は秦の統治に採られ、 王朝が15年で倒れた後は表向き否定された。