概要
有力な家臣が晋を三つに割り、周王がそれを認めた。下剋上が公認された年として区切りに使う。
本文
有力な家臣三家が、主家の晋を三つに分けた。
その3人を、周王が正式に諸侯として認めた。
下剋上が公認されたことになる。
司馬光は『資治通鑑』を、この年から書き起こした。 名分が失われた起点だ、という判断による。
以後を戦国時代と呼ぶ。
春秋時代との違いは、 周王を尊ぶ建前が消えたことになる。 諸侯が次々に「王」を名乗りはじめる。
戦争の規模も変わった。 戦車に乗る貴族の戦いから、 数十万の歩兵を動員する総力戦へ。
生き残るために、 身分によらず有能な人材を集める必要が出る。 諸子百家が活躍する土壌になった。