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Event / できごと

デモステネスの『フィリッポス弾劾』

Philippics of Demosthenes
BC351年
重要度 3

概要

吃音を小石で直した弁論家が、北の王がギリシアを飲み込むとアテナイに叫んだ。13年、叫び続けた。カイロネイアで負け、アレクサンドロスの死後にまた立ち上がり、追われて毒を飲んだ。「弾劾演説」という言葉がここから来た。

場所

アテナイ
37.98°N 23.73°E · ギリシア・アッティカ

関わった人(1)

デモステネスBC384年–BC322年 · 弁論家

本文

BC384年生まれ。 父は、 剣と、 寝台の、 工場を持っていた。 7歳で、 父が死んだ。 後見人3人が、 財産を、 食った。 20歳で、 訴えた。 自分で、 弁論を書いた。 勝った。 金は、 戻らなかった。 「バタロス」。 吃音、 弱い声、 息が続かない、 肩が、 動く。 最初の演説で、 笑われた。 役者サテュロスが、 教えた。 口に小石。 走りながら、 演説。 海の、 波に向かって。 地下室で、 髪を半分剃って、 外に出られないようにして、 練習した。 プルタルコス。 本当かどうか。 「ロゴグラフォス」。 弁論の、 代筆屋。 金持ちの、 訴訟のために。

BC359年、 フィリッポス2世。 BC357年、 アンフィポリス。 BC356年、 ポテイダイア。 BC354年、 メトネ。 北。 アテナイの、 植民市が、 一つずつ。 BC351年。 「第一フィリッピカ」。 「アテナイ人よ、 いつまで。 いつになったら、 あなたたちは、 行動するのか。 何が起きるのを、 待っているのか」。 「フィリッポスは、 寝ていない」。 「あなたたちが、 議論している間に」。 「市民の軍を。 傭兵でなく」。 「観劇の手当(テオリコン)を、 戦争に」。 誰も、 聞かなかった。 BC349年、 オリュントス。 「オリュントス演説」。 3つ。 オリュントスは、 BC348年に、 破壊された。 BC346年、 「フィロクラテスの和約」。 デモステネスも、 使節の一人。 BC344年、 「第二フィリッピカ」。 BC341年、 「第三フィリッピカ」。 「最も、 偉大な演説」。 「フィリッポスは、 ギリシア人ではない。 マケドニア人ですらない。 奴隷を、 買うことも、 できない土地の、 出身」。 「彼は、 戦争を、 していない、 と言う。 彼は、 平和の名で、 都市を、 取っている」。 「もし、 彼が、 アテナイに来たら」。 BC340年、 ビュザンティオン。 アテナイが、 動いた。 テーバイと、 同盟。 デモステネスが、 テーバイに、 行って、 説得した。 BC338年8月、 カイロネイア。 デモステネスは、 重装歩兵として。 「盾を、 捨てて、 逃げた」。 アイスキネス。 政敵。 死者の、 葬送演説を、 デモステネスが。 BC336年、 「冠」。 クテシフォンが、 デモステネスに、 金の冠を、 と提案した。 アイスキネスが、 訴えた。 BC330年、 裁判。 「冠について」。 「私は、 負けた。 だが、 私は、 アテナイが、 すべきことを、 した」。 「マラトンの、 先祖に、 かけて」。 アイスキネスは、 5分の1の票も、 取れず、 罰金を払えず、 ロドスへ。 BC324年、 ハルパロス。 アレクサンドロスの、 金庫番が、 金を持って、 逃げてきた。 デモステネスが、 20タラント、 受け取った、 と。 有罪。 逃げた。 BC323年6月、 アレクサンドロスが、 死んだ。 帰った。 ラミア戦争。 BC322年、 クランノン。 負けた。 アンティパトロスが、 「弁論家を、 引き渡せ」。 カラウレイア島。 ポセイドンの神殿。 「手紙を、 書く」。 葦のペンを、 噛んだ。 毒。 「神殿の中で、 死なないように」と、 外へ出て、 祭壇の前で、 死んだ。 62歳。 アテナイの、 民主政も、 同じ年に、 終わった。 アンティパトロスが、 財産で、 市民権を、 制限した。 42年後、 アテナイは、 彼の像を、 アゴラに立てた。 「デモステネス、 もし、 あなたの力が、 あなたの知恵と、 等しかったら、 マケドニアの、 アレスは、 ギリシアを、 支配しなかっただろう」。 キケロは、 アントニウスへの、 演説を、 「フィリッピカ」と、 名づけた。 14篇。 そのために、 殺された。

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