概要
アジアに渡って最初の会戦。渡河しながらの突撃でペルシアの太守軍を破った。
場所
グラニコス川位置は特定されていない(誤差 ±15km)
40.28°N 27.15°E · トルコ・チャナッカレ県(戦場の位置は特定されていない)
40.28°N 27.15°E · トルコ・チャナッカレ県(戦場の位置は特定されていない)
関わった人(1)
アレクサンドロス3世BC356年7月20日(21日説あり)–BC323年6月10日(11日説あり) · マケドニア側 · 総指揮本文
アジアに渡って最初の会戦になる。
川を渡りながら攻めるのは、常識としては愚策になる。 足を取られたところを、対岸から狙われる。
将軍パルメニオンは、 夜明けを待って渡るよう進言した。
アレクサンドロスは、その日のうちに渡った。 斜めに渡って、対岸の弱いところへ集中する形を取った。
自ら騎兵の先頭にいて、兜を割られている。 背後から斬りつけられるところを、 クレイトスという将が助けた。
そのクレイトスを、8年後に 自ら宴席で刺し殺すことになる。
戦いの後、戦利品の鎧300をアテナイへ送った。 「フィリッポスの子アレクサンドロスとギリシア人が、 ラケダイモン人を除く」と銘を付けて。
参加しなかったスパルタへの当てつけになる。
出典(1)
アッリアノス 『アレクサンドロス大王東征記』第1巻 13–16